◎「太麺」六八〇円+「細麺替玉」一〇〇円+「細麺替玉」一〇〇円
…昨晩。
忘年会は先週八日だと勘違いしていた為、十五日に別件バウアーで、
会合を入れてしまっており、二重予約と成ってしまっていた為、
十七時から一つ会合を済ませ、二〇時過ぎに解散し、今度は電車に乗車し、
一路、大山へと向かい、二次会から合流と言う慌ただしさ…。
抑々、自分の勘違いなので、義理は果たさないといけない。
二十一時過ぎに到着し、「鍛冶屋文蔵」で一頻り呑み、二十三時過ぎに解散。
勿論、目論見が有っての事だが…。
大山界隈には滅多に来る事も無くなったので、偶さか来た際には、
二〇代前半から中盤の青年時代の、貧しくも愉しく、日々の暮らしが精一杯で、
一杯のラーメンが御馳走だった時代の憧れだった此方に寄りたくなる。
当時は月に数える程しかラーメンを頂くと言う贅沢は出来なかったので…。
半地下の階段を下り、店内に入り、券売機で食券を購入する。
昨年九月二十三日以来、約一年三ヶ月振りの訪店で、前回は「細麺」にしたが、
今回は「太麺」にし、細麺は替え玉で頂けば良いやと。
一体、深夜にどれだけ喰うんだよ!と言う突っ込みは受け付けない事とする…。
食券を提示し、席にヨッコイショーイチし、冷水で酔いを醒まし乍ら待つ。
すっかり外で呑む事も無くなったので、当然、呑んだ後に〆ると言う不摂生、
不健康極まりない行為も御無沙汰で、随分と落ち着いてしまった感じで、
九月八日に「宮原元気酒場 もつ焼 エビちゃん別館」で独り呑んだ後に、
「Noodle Studio SYU~周~」で〆て以来、今年二回目か。
そんな、すっかりしょぼくれてしまったおぢさんの前に、ラーメンの御出座し。
当時と丼が変わってはいるが、佇まいは当時の儘で、憧憬のラーメンだ。
先ずは蓮華を手に取り、プースーから啜ろう。
店の外、十数米離れた場所からも匂う、獣臭、家畜臭は健在で、此れが堪らん。
五十八種類の麺と三十三種類のスープ、即ち、約一〇〇種類の麺とスープから、
最高の組み合わせを選んだ一杯だから「百麺」、と言う謳い文句。
拳骨を主体に背ガラ、豚頭、鶏ガラの動物系材料のみを使い、
毎日一〇〇キログラム以上のガラを十七時間以上炊く濃厚な豚骨スープは、
四本の寸胴を使ってスープとガラを移動させ乍ら作り込むと言い、
スープの状態や水位を見乍ら、余分な油分や滓を取り除く等の微調整をし、
濃厚乍らも切れが有るスープを作り出し、少しとろみが有り、
豚骨がガツンと来るが、諄さを感じさせないコクと切れの有る仕上がりで、
鶏と豚のコク、深味、旨味を極限迄凝縮した極上のプースーと言う触れ込み。
当時は「家系」であると謳ってはいなかったが、今は「横浜家系」、
「醤油豚骨」を前面に打ち出している様だが、個人的には別物と捉えている。
さて、麺は、前々回の二〇一五年二月二十一日以来、三年一〇ヶ月振りの太麺。
製麺所に特注し、二種類の国産小麦を配合して作った独自の麺と言う事で、
此の麺でないと百麺のスープに合わず、美味しくないと店主に言わしめる、
正に「百麺」だけの独自の麺と謳い、プリプリとした食感が印象的。
麺の硬さは訊かれなかったが、やや硬めの茹で上げで好みだ。
中盤以降、卓上の揚げ大蒜と刻み大蒜を投入し、隙有らば大蒜摂取を怠らない。
一気にパンチとコクが増し、呑んだ後の弱った身体を甦らせて呉れる。
さて、太麺を啜り終わったので、帰ると見せ掛けて「細麺替玉」発注。
一〇〇円硬貨を差し出し、「コナおとし」で御願いする。
数秒間茹でられた後、麺上げ笊で丼に麺を入れて呉れる。