続・ROCK‘N’ROLL退屈男

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「らーめん屋 いとう」【御花畑】

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 ◎「チャーシューメン」八〇〇円

 …昨日。
  前の晩は珍しく酒を抜き、早目に寝た所為か、心成しか寝起きも良い気がする。
  毎朝御決まりの吐き気も抑えられている様な気がしないでもない…。
  今週は実に永く、重苦しかったと振り返ると同時に、偶の休日を愉しもうと決意する。
  毎年、此の時期には紅葉を愛でに出掛けているが、今年は其の余裕も無かった。
  遅れ馳せ乍ら、秩父ならば未だ間に合うだろうと、久し振りの遠出。
  東京環状から、県道十五号線に入って川越市内を抜け、国道二九九号線を右に。
  車内では、先日購入した「大沢悠里のゆうゆうワイド」の「新選・お色気大賞」。
  矢張り、エロは癒されるナァ…。
  正丸トンネルを潜り抜け、横瀬を過ぎ、秩父市内に滑り込む。
  先ずは、羊山公園から秩父市内一望の眺望を愉しむ。
  「秩父ミューズパーク」方面の山々の色付きが何とも秋らしい。
  折しも時刻は正午に迫ろうと言う頃。
  秩父で最近頂いているラーメンと言えば、「麺屋たつみ 喜心」だが、
  僕の中では、「らーめん屋 いとう」が青春の味なので、大いに迷う。
  味で言えば「麺屋たつみ 喜心」、懐かしさで言えば「らーめん屋 いとう」。
  先ずは偵察がてら、「麺屋たつみ 喜心」に行けば、生憎、駐車場は満車。
  店頭の黒板の「秋刀魚煮干しそば」に惹かれるが、空かないんじゃ入れない。
  車内で暫く待つも、後続が押し寄せており、責っ付かれている様な気がして回避。
  と言う訳で、「らーめん屋 いとう」へと向かう。
  駐車場は家電量販店と共用なので、広々として余裕だ。
  店内に入れば、厨房の中には懐かしい顔が見える。
  何を隠そう、其の昔、巣鴨で「巣鴨ラーメン」として営業していたのが此方。
  知人に連れて行かれ、当時、ラーメンを食べ歩くと言った習慣の無かった僕には新鮮で、
  若かったので、此の手の背脂ビッチリのこってりラーメンに嵌った。
  当時は幹線道路沿いに背脂チャッチャ系のラーメン店が多く在り、
  国道一七号線沿いの「巣鴨ラーメン」、「千石自慢ラーメン」を始め、
  環状七号線の「土佐っ子ラーメン」、白山通りの「白山ラーメン」等、魅惑的な店が多かった。
  すっかり虜と成った僕は、薄給の中、週に一度の御褒美、御馳走とばかりに、
  毎週月曜日、欠かさず通った、正に青春の味と言った感じの一杯。
  道路拡張の呷りを喰って、閉店を余儀なくされ、暫くして、店主の地元・秩父で再開された此方。
  二〇〇七年六月五日以来の再訪で、期待にAカップの胸が躍る。
  店に入れば満席の大盛況で、巣鴨時分は立ち喰いだった事が懐かしく思い起こされる。
  小型の券売機に向き合い、食券を購入する。
  当時は高価で頂けなかった「チャーシューメン」にしようと、「03」の釦を押す。
  そして、暫く待つ様にと、店主の伊藤氏から求められる。
  繁盛振りを見るに、すっかり秩父市民に愛されている味なのだなと、感慨も一入だ。
  程無くして席が空き、巣鴨時分同様に、冷水ではなく麦茶が出される。
  懐かしいなと、些かばかりの感傷的な気分も混ざりつつ、出来上がりを待つ。
  一〇分足らずで、久し振りのラーメンと対峙する。
  表面には大量の背脂が降り注いでいるが、其の下のプースーの色が黒く透けている。
  あの当時の青春の味と違わないかと緊張しつつ、蓮華でプースーを啜ってみる。
  背脂の何とも言えない芳醇な甘味がふわっとした後、醤油ダレの立った豚骨スープが続く。
  おおっ、此れだ此れだ。
  先日頂いた「らーめん専門店 ぶぶか」の其れの様に、「昔の味」と一括りに出来ない、
  「巣鴨ラーメン」でしか味わえない、唯一無二の味わい。
  大量の背脂だが、諄さは無く、又、醤油ダレの塩気は有るが、角が取れて何とも良い。
  今にして思うと、当時の「背脂チャッチャ系」、「環七系ラーメン」と十把一絡げにされていたが、
  他とは一線を画した、此方ならではの独特な旨味の詰まった一杯だったのだと。
  萌やしはシャキシャキ感が強いが、さっぱりとさせて呉れる箸休め的な存在。
  麺は、こんなに細かったっけと感じる程の細麺。
  加水率は低目で、ややモソっとした感じが心地好く、緩い縮れの有る啜り易い麺。
  もう少し太くても、美味しく頂けるだろうなと思う。
  麺麻は目立った印象は無いが、及第点の美味しさ。
  さて、叉焼はと言うと、バラ肉の物が六枚入る。
  巻かれた物ではなく、食感で言うと、ブリンとした感じの物。
  脂身は蕩ける感じは無く、其の儘、ブルンとした食感で喰わせると言った感じで、
  赤身の部位は、味は良く染みており、此方も解れる感じではなく、噛み締める感じ。
  若い頃は此の叉焼で十分に美味しく感じられたが、今ではもっと蕩ける方が好みだ。
  其れでも、二〇代前半から中盤の貧乏だった頃の贅沢品と再会出来、温故知新の念すら抱く。
  僕には此方のラーメンが有ったからこそ、今が有るのだと…。