続・ROCK‘N’ROLL退屈男

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「とんこつラーメン めんくい」【光が丘】

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 ◎「とんこつ」七〇〇円+「煮バラ」三〇〇円

 …今週も何とか、やっとこさっとこ、週末の休日に漕ぎ着ける。
  新年度だからか、電車も混んでおり、何時もは座れる筈が立ちん坊で、
  そう言う日に限って、強風やら人身事故やらで遅延に巻き込まれ、
  押し合い圧し合いの鮨詰めで、普段使わない筋肉を酷使し、痙攣する程。
  上野駅に着いたら着いたで、串刺し式の低い歩廊の場合は、
  中央改札口に向かって一本道なので、只でさえ、無数の人間でごった返すが、
  そんな状況にも拘わらず、携帯電話を弄り乍ら、テレテレ歩く馬鹿が居る。
  邪魔と言う言葉以外に見付からず、もう、法律で取り締まるより他無いと思う。
  如何して、公共の場で基本的な道徳を守れないのか、不思議で成らない。
  携帯電話を弄るなら、人様の往来を邪魔しない様、柱の影にでも隠れてやれ。
  歩く時位は一生懸命歩けよ!
  始業前から余計な事で苛々させられ、益々、外に出るのが苦痛に感じられる…。
  休日の今朝は、八時過ぎに起き出すが、すっきりとは程遠い寝起き。
  既にサザエさん症候群が身体を蝕み始め、再び、寝床で寝込みそうに成る。
  何とか、気持ちを奮い立たせ、偶の休日を満喫しようと頑張る。
  最近は行動を起こすのに、尋常ではない熱量を要するので大変…。
  一〇時半を廻った頃、意を決して外出し、自動車を走らせる。
  二〇代前半、今から二〇年近く前、何度と無く通った此方へ御邪魔してみよう。
  新大宮迂回道路を南下し、西高島平から笹目通りに入り、光が丘を目指す。
  十一時四〇分に到着したのは、一杯のラーメンが御馳走だった若かりし頃、
  背脂チャッチャ系が隆盛しており、其の中の一つの「千石自慢ラーメン」出身、
  全ての取材拒否の為、知る人ぞ知る、住宅街にひっそり佇む此方。
  当時は六〇〇円の「とんこつ」が御馳走で、三〇〇円の「煮バラ」なんぞ、
  悪い事でもしないと付けられない程の高嶺の花で、憧れの品だった…。
  そんな懐かしさを思い出しつつ、硝子戸を開けて中に入れば、時間も早い為、
  先客は五、六人で、冷水を汲み、L字の止まり木の一番奥にヨッコイショーイチ。
  厨房内は、当時より若干脹よかと言うか、がっしりとされた御店主。
  鼻と口を不織布で覆っておられるが、下柳 剛に似た御尊顔は御変わり無い様だ。
  当時は奥様と切り盛りされていたが、今回は御年輩の男性店員氏と二人体制。
  其の男性店員氏に「とんこつ」に「煮バラ」を付けてと発注。
  昔出来なかった贅沢を、今、こうして出来る事に、心から感謝したい。
  寡黙で、物静かな御店主が調理をする光景を見乍ら、出来上がりをヂッと待つ。
  後から来た客人は、摘みに「煮バラ」と「メンマ」を発注し、麦酒を飲る様だ。
  嗚呼、心の底から羨み、正しい休日の昼の過ごし方だと納得してみる…。
  そして一〇分弱で、二〇〇七年一〇月二十四日以来、約十一年半振りの御対面。
  懐かしさを通り越して、味の記憶も薄らいでいる。
  先ずは蓮華を手に取り、プースーから啜ろう。
  表面には分厚い油層が構築され、背脂が流氷の様に浮かんでいる。
  此れを、丼の下の方から撹拌する様にして掬って啜れば、嗚呼、青春の味。
  茶褐色をしたプースーは、此の油分なので、こってりとして諄いと思いきや、
  意外にもサラッとして重たくなく、其れで居て、豚骨の旨味が感じられる。
  其の昔、胃腸の弱い方が此のラーメンを頂いた後は必ず下してはいたが…。
  胃袋を優しく豚脂が包み込む様な感じで、程好い甘味も感じられる。
  麺は中太で、ツルツルとした加水率高目の物で、茹で加減は軟らか目。
  量は多くなく、一四〇瓦程度だろうか。
  具の「煮バラ」の切り落としの部位が、地味に良い存在感を出している。
  そして、贅沢の極み「煮バラ」は、プースーの熱で良い塩梅に蕩けている。
  厚味こそ無いが、赤身の部位の肉感と、脂身の部位の旨味が絶妙だ。
  具は他に麺麻、海苔、茹で玉子半個、葱。
  終盤、卓上の刻み紅生姜を投入すると、すっきりとした味わいが心地好い。
  最後は懐かしの味のプースーを全て飲み干し、折角、痩せて来ているのに、
  其の努力を無駄にしてみる…。
  後から来た腕白そうな客人が、「とんこつ」+「大盛」+「煮バラ」+
  「のり」+「味付玉子」+「半ライス」と一三八〇円の豪遊をしており、
  きっと、石油を掘り当てたか、皇室関係の世を忍ぶ仮の姿かと推察してみる…。